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広島高等裁判所 昭和49年(ネ)149号 判決

主文

原判決を取消す。

被控訴人から控訴人に対する広島地方裁判所昭和四三年(ワ)第一、三四七号建物明渡請求事件の和解調書に基づく強制執行はこれを許さない。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

本件につき広島地方裁判所が昭和四八年一月二三日なした強制執行停止決定を認可する。

前項に限り仮に執行することができる。

事実

一、当事者の申立

控訴代理人は、主文第一、二、三項同旨の判決を求めた。

被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二、当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり附加、削除するほか原判決事実摘示の第二と同様であるから、これを引用する。

(一)  原判決二枚目表終りから二行目の「次のような和解が成立し、」の前に、「昭和四四年九月四日」と附加する。

(二)  同三枚目表終りから三行目の「支払期日に」の次に、「被控訴会社に持参して」と附加し、同三枚目裏最初の行の末尾に、「従つて、控訴人は右期間内において賃料の支払を怠つたものとは言えないから、被控訴会社のなした右本件賃貸借解除の意思表示は無効であつて、控訴人は明渡義務を負わない。」と附加する。

(三)  同四枚目表終りから三行目の「として一ケ月分」とあるのを削除し、その次の行の「認めるが、」の次に「右支払は本件和解調書に定める支払期限後のものである。」と附加し、同行の「昭和四六年」から同四枚目裏の最初の行までを削除する。

(四)  同添附目録の四行目の末尾に「共同住宅」と附加する。

三、証拠関係(省略)

理由

一、広島地方裁判所昭和四三年(ワ)第一、三四七号建物明渡請求事件について、昭和四四年九月四日控訴人と被控訴人との間に裁判上の和解が成立し、その和解調書に控訴人主張どおりの記載のあること、被控訴会社が、控訴人が昭和四六年一一月から昭和四七年三月までの本件建物部分の賃料支払を遅滞したので、同年四月一七日付内容証明郵便で被控訴会社と控訴人との間の本件建物部分の賃貸借を解除したとして、同月二四日控訴人に対し右和解調書につき執行文の付与を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこで、控訴人に右期間内の賃料支払につき遅滞があつたか否かについて検討する。

成立に争いのない甲第一号証、第三号証から第六号証まで、当審証人岡本淑子の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一二号証から第三二号証まで、当審証人坂井博二の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、同証人(後記措信しない部分を除く。)、原審および当審証人岡本淑子、当審証人岡本泉の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  控訴人は、昭和四三年二月ころから被控訴会社から本件建物部分を賃借してきたが、賃料不払があつたとして被控訴会社から建物明渡訴訟を提起され、その訴訟において昭和四四年九月本件和解が成立した。控訴人は、右和解成立後昭和四六年一〇月に至るまでの間、同年五月分の賃料を除いて銀行振込の方法により誠実に賃料を支払つて来た。控訴人は、同年五月分の賃料を何らかの手違いにより支払つていないが、このことに気附いていなかつた。

(二)  控訴人の使者である岡本淑子は、昭和四六年一一月二六日、他の用件もあつたので、被控訴会社事務所に現金一万三、〇〇〇円を直接持参して、同月分の賃料と指定して会計の担当者である坂井博二に対し受領方を申出たところ、同人は、控訴人は従来賃料の支払を一月分遅滞しているから受取れないと主張して、受領を拒否した。そこで、岡本淑子は、本件建物管理の担当者である長円寺某に対し受領方を申出たところ、同人も同様の理由により受領を拒否し、更に銀行振込を行つても受領しない旨を告げるなど、両名の態度は強硬であつた。そのため、岡本淑子は、止むなく右金員をそのまま持帰り、その後同年一二月一六日これを一一月分の賃料として被控訴会社の銀行口座に振込んだ。

(三)  岡本淑子は、その後同年一二月分から昭和四七年三月分までの賃料についても、各支払期日である毎月二六日(但し、当日が日曜日であつた場合はその翌日)に欠かさず被控訴会社に持参して受領方を申出たが、その都度担当者から前同様の理由で受領を拒否された。

当審証人坂井博二の証言および原審における被控訴会社代表者八幡貞一本人尋問の結果のうち右認定に反する供述は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

ところで、賃借人の提供した賃料がどの月分の賃料に充当されるかは第一次的に弁済者である賃借人の指定によつて定まる(民法四八八条一項)のであつて、仮に賃借人にその指定した時点以前に賃料支払を遅滞した事実があつても、そのことは賃借人が当月分の賃料と指定して支払をすることを妨げない。それ故、控訴人は、被控訴会社が控訴人の賃料支払を遅滞した期間と主張する昭和四六年一一月から昭和四七年三月までの間の賃料は、和解調書に定められたところに従つて被控訴会社に対し遅滞なく提供してきたものであつて、控訴人には右期間中において和解調書に定める「賃料の支払を怠つた」事実はないこととなる。従つて控訴人が右期間中の賃料支払を怠つたとしてなされた被控訴会社の本件賃貸借解除の意思表示はその効力を生じないと言わなければならない。

三、なお、本件和解調書には、控訴人主張のとおり賃借人である控訴人が一回でも賃料支払を怠つた時は、本件賃貸借契約は当然解除されるとの条項があるので、控訴人に賃料不払の事実のあつた昭和四六年五月二七日の時点で本件賃貸借は当然解除となつたか否かについて考えてみる。

右和解条項は、信義則に照らして考察するときは、特別の事情のない限り極めて苛酷な約旨であつて、むしろ、賃借人である控訴人が相当期間継続して賃料の支払を怠るときは、被控訴会社は催告をしないで本件賃貸借を解除し得る趣旨と解することによつて有効となるというべきである。そこで本件において右特別の事情があるか否かについて考えてみるのに、前記二の(一)の事実関係のもとにおいては、控訴人の昭和四六年五月分の賃料支払の遅滞は賃貸借当事者間の信頼関係を破壊するに至る程のものでなく、従つて、本件においてはいまだ右特別事情ありとはなし難い。それ故、控訴人に昭和四五年五月分の賃料不払の事実があつたとしても、それのみでは本件賃貸借を解除することはできないものというべきである。

四、以上の理由により、控訴人に本件建物部分の明渡義務はなく、被控訴会社が控訴人に対し、本件和解調書に基づき本件建物部分について明渡の強制執行をすることは許されない。

そうすると、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由があるから認容すべきである。これと結論を異にする原判決は取消を免れない。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、強制執行停止決定の認可およびその仮執行の宣言について同法五四八条を適用して、主文のとおり判決する。

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